「3.11原発事故」双葉町で高線量の中4日間取り残された夫の家族の体験談

日常マンガ

震災から早7年ですね。

 

東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

また被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

 

 

うちの夫の実家は福島県双葉町で、原発から近い(約2km程)場所にありました。

 

その時の様子をこの機会に描いてみようと思います。

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3.11 双葉町

 

夫の家族構成は、両親と少し体が不自由な伯父さんと、弟二人の五人家族で

双葉町の実家に暮らしていました。

 

実家は海からかなり近い場所にあったので、気が気ではなかった夫。

 

 

震災当日はもちろん連絡が全くかず、

 

 

なんと一番下の弟から

 

 

 

夫はすぐメールを打ちました!しかしなかなか返信がなく

 

 

その内容は

 

 

たった二文字!!(笑)

 

でもそのあとメールも電話も通じるようになり、連絡が取れたのです。

 

 

お母さんと電話で話して安心した夫。そして

 

画像引用元:Googleマップ

 

双葉町から川俣町へは直線距離でだいたい45kmくらいです。

 

夫は川俣町の避難所へ電話をかけて、お父さんと話しました。

すると大変な事がわかったのです!

 

高線量を浴びてしまった伯父さん

 

 

同居していた夫の伯父さんが、少し体が不自由なため

避難の際に迷惑をかけたくないという思いから「このまま家に残る」と言い張り

お父さんや次男の一時間にも及ぶ説得にもガンとして応じず、自宅に残ったのだそうです。

 

 

仕方なくお父さんと次男はすぐに戻れると思ったので、伯父さんに食料を置いて一時的に避難したのですが、

原発が爆発したため放射線量が急激に高くなり、戻れなくなってしまいました。

 

 

夫はすぐに富岡駐屯地(震災当時、一時的に自衛隊が駐屯していた)に電話をかけ、

「入れるようになったら救助に向かいます」と言われます。

 

 

その頃お父さんも自衛隊へ救助を申し出ていて、翌日15日夜

お父さんは軍用車に乗り自衛隊数人に付き添われて、伯父さんの救助に向かったのでした。

 

 

この当時の放射線量ですが、

 

福島第一原発の北西5.6キロにある双葉町上羽鳥のモニタリングポストで、

毎時4.6ミリシーベルトの高線量を2011年3月12日午後2時40分には観測していたとのことです。

毎時4.6ミリシーベルトという値は、僅か一時間で原発作業員の労災認定がされる5ミリシーベルトに匹敵するような線量を浴びるのと同じ意味を持っています。

 

引用元:情報速報ドットコム

 

とのこと!

 

福島原発から5キロ以上離れた地点で上記の高線量なのですから、

わずか2キロ地点だとどれ程なのか…

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

 

 

ちなみに伯父さんは12日、みんなが避難したあと畑仕事をしていたそうで、

そのとき一号機が水蒸気爆発するけたたましい大爆音を聞いたんだとか。

 

 

そのあと家に戻り、ラジオを聴いて一号機が爆発したことを知った伯父さんは、家から一歩も出ずに過ごしました。

残された水も少しずつ少しずつ飲んで堪えていたそうです。

 

 

そうして四日間もの間、高線量の放射能を浴び続けたのです。

原発から2キロ周辺の住民で残っていたのは、伯父さんだけだったようです…

 

 

 

無事に救助された伯父さんはその後、川俣町にある介護施設に入居されまして、

事故から7年経ちますが、肌がツヤツヤでどんどん元気になられてるそう!

 

 

夫は20㎏以上ダイエットしてましたからね~💧

 

大量の放射線を浴びてむしろ元気になっていた伯父さんを見て、夫は不思議がっていました。

伯父さんはその人柄から皆に慕われ、現在はとても楽しく過ごされているようで良かったです^^

 

次男の行方

 

ところで伯父さんは無事でしたが・・・

 

 

全く連絡が取れなくて、夫は相当心配していました。

 

 

すると・・・

 

 

前回と全く同じ返信がきたという(^▽^;)

 

 

何気ない日常会話がとても重要でありがたい事だと気付かされました。

 

 

家族の地震後の足取り

 

最後に家族の地震後の足取りを。

 

・お父さん→ 

一度職場から自宅へ戻り、双葉の住民が避難することになっていた川俣町へ移動。

 

・お母さん→ 

地震のあと公民館へ集合。

そこで「放射能漏れの恐れがあります。ただちに避難して下さい」との町内放送が入り、慌てて一人で軽トラにのって一目散に福島市の親戚宅へ逃げる。

 

・伯父さん→ 

避難所へは行かないと拒み家に残る。地震から五日後に救出される。

 

・次男→ 

職場で一回目の大地震が起こり、慌てて職員全員で外に出てみると立て続けに大きな地震が。

駐車場の地面が割れ開いたり閉じたりしていたそうです。

慌てて実家に戻りお母さんの無事を確認してからまた職場へ。

戻る途中で、防波堤を優に超える大津波を見たといいます。

その後、職場の人と避難所へ。

 

・三男→ 

仕事の車で走行中に地震にあう。双葉より通い町(小高町)におり、その日は高台で車中泊。

その後親戚の家に避難した。

 

いずれにせよ、こうして当時を冷静に振り返る事ができるのも夫の家族が全員無事だったからだと思います。

今でも心から感謝です。

 

マンガ「3.11原発事故」の後に夫の家族が上京!てんてこまいの私
東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。 また被災...

この続きを漫画で描いています。

お気軽に一言お願いします。 ※コメントは承認制となっております。

  1. 双葉ダルマ より:

    カコさん、初めまして。
    いつも楽しく拝読しています。
    今回のお話しを読んでビックリ…私もご主人と同町出身です。
    そして、7年前のあの日、この町で被災しました。
    義家族の皆さん(特に伯父様)、大変な思いをされたことでしょう。
    ご主人もカコさんも、安否を確認出来るまでとても不安だったと思います。
    ご主人が笑い話に出来たこと、伯父様がお元気なこと、同じ被災した者としてホッとしました。
    義家族の皆さんのご健康とご多幸を、心よりお祈りしております。

    • 管理人 より:

      双葉ダルマさま

      はじめまして!^^ご訪問及びコメントありがとうございま・・・

      えええ~~~!!Σ(・ω・ノ)ノ

      なんということでしょう!

      同じ双葉町出身者のお方が見ていて下さったなんて…!!!

      凄いご縁ですね!!
      感謝感激で今でも夫婦で信じられない想いです( ;∀;)
      描いて良かったぁ~!(*゚∀゚*)

      温かいお言葉まで本当に有難うございます~~!

      うう、あの日あの町で同じように被災されたお方だからこそ、言葉が重く
      安堵の気持ちも強く伝わりました(:_;)痛み入ります。

      双葉ダルマさんのご家族は皆様ご無事でしたでしょうか?

      別な土地に移住され落ち着つくまでも大変だった事と思います。

      うちでも当時は義弟(次男)を預かり、被災者住宅への引っ越しや、再就職や心の問題など近くで見聞きさせてもらっていたので、とても他人事ではなかったですね。

      今はみな関東で落ち着き元気でやっているので、なんだかもう10年以上経ってしまったような錯覚すら起こります(^-^;

      でもそうして忘れてはいけない事なので、毎年この時期に漫画で描いていこうと思いますよ。
      (今回出すタイミングが遅かったので震災後の様子などは残念ながら描けなかったので…;)

      私はまだ行ったことがない双葉町へ、生きてるうちに行ける日がくるといいなと夫と話しています^^

      双葉ダルマさんももう一度故郷に戻れる日が訪れるといいですね。
      今後ともどうぞご自愛下さいませ。

      そしてご家族やご親戚の皆様もいつまでもお元気でお幸せにお過ごし下さいますよう
      心からお祈り申し上げます(o´▽`o)

      美しくてご丁寧なコメントを頂けて感謝です!(*^ω^)
      双葉っ子万歳!!!
      有難うございました!

  2. 双葉ダルマ より:

    こちらこそ温かいお言葉ありがとうございます。
    なんだかお互いにエールを送り合えたようで、胸がジーンと熱くなりました。
    人の縁とは不思議なものですね。

    こちらも幸いなことに家族・親戚みな無事に避難することができ、移住先にもすっかり慣れてきました。
    避難先や移住先で出会う方々、皆さんとても温かく接して頂いて、震災という痛ましい出来事の中 沢山の優しさに触れました。とても貴重な体験だと感じています。

    次男さんの引っ越しや再就職、きっと一筋縄では進まずご苦労されることもあったでしょう。
    ご主人やカコさんのサポートは心強く感じたと思います。
    義家族の皆さんが今は落ち着いて生活されていること、心から喜ばしく思います。

    私は土地は生き物だと思っています。被災した土地に限らず、どんな所も時代によって様変りします。
    今はあの日のままで止まっている双葉町ですが、カコさんが訪れた時の新しい姿と、ご主人が知る昔の姿を、お二人が楽しく語り合える日が来ればいいなと思っています。

    「被災者に配慮して…」とよく見聞きしますが、「笑い話」と「不謹慎な話」は似て非なるものです。
    ご主人のように、震災中だって思わず笑ってしまうようなこともあったはずです。
    今は笑い話になった。それでいいんです。
    カコさんの見たものを、カコさんの受け止めた気持ちをそのままに、またお話し下さいね。

    新しいお話し、楽しみにしています♪
    健康対策、勉強になります!(私も子宮内膜症持ちです)

    • 管理人 より:

      双葉ダルマさま

      心のこもった優しいお返事どうもありがとうございます!

      ご家族やご親戚の皆さまがお元気で何よりでした~!(^◇^)
      沢山の優しさに触れられたのも本当に良かったですね♪
      心無いニュースもありましたが、夫の家族も比較的周囲の人に恵まれていたので今があると思います^^

      それにしても双葉ダルマさんの流れるような美しい文章にうっとりしながら何度も読ませて頂き、とても励みになりました!

      土地は生き物・・・なるほどその通りですね。
      人と同じでいつまでも同じ場所はありませんものね。
      はい、これからも笑い合って過ごします(笑)双葉ダルマさんもご一緒に♪

      そして私は被災者本人ではないのでちょっと微妙なところもあったのですが、力強いお言葉を頂けて、次も描く勇気が湧いてきました(*^-^*)

      それぞれの3.11があってしかるべきですし、私の視点でまた描かせて頂こうと思います♪

      いくつもの有難いお言葉に私も胸がジーンとしましたよ~( ;∀;)
      (こんなブログにコメント頂くのが勿体ない見事な文章で、講演を聴いてる気分になりました。笑)

      またよろしければ遊びに来てくださいね(≡^∇^≡)

      あわわ、健康対策、すこしでもお役に立てるといいのですが~;;
      お互い内膜症にも気を付けつつ大事にして参りましょう~!(≧▽≦)ノ

      どうもありがとうございました~♡
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